他人なんて、どうでもいい

ニュース記事のSNS共有や、動画サイトへのコメントなども簡単になった今の時代。

世の中の問題や有名人の行動なんかに一般人が口を出しやすくなった。

これは〈良いこと〉だ。あくまで技術の進歩という観点ではね。

でも、現状の〈人々〉にとって、このシステムは悪の芽を肥やすモノでしかない。

 

 

みんなは、他人という存在をどう思う

ここで言う他人とは、家族や友人、同僚や上司などの自分に直接関わりがある人以外の人たちを指す。

 

 

正直、どうでも良いのではないか?

 

 

それは正常だと思う。他人なんてどうでもいいものだ。

もし、いちいち今この瞬間もどこかで苦しんでいる他人に慈悲の感情を持ったりしていたら精神が壊れる。

もうそれは仏の領域に達していることだろう。

 

 

結局、おれが何を言いたいのかまだわからないと思う。

長々と語るのも両者疲れるので、結論から言おう。

 

 

他人に関して同情もするな、言及もするな。

赤の他人のことなんて一切考えるな。

 

 

これだけだと単に非情なクズの意見だと思われるので、まあ詳しく語っていくよ。

 

 

ネットにおける炎上の元や、野次馬、誹謗中傷なんてのは全て他人に対する意見だ。

SNSや掲示板でなんて自分のことだけ語ってればいい。

芸能人等の有名人を見てみろ。つくづく自分語りと自分撮りだろ。あれでいいんだ。

 

 

炎上に関わったり野次馬したりなんてことはしない人でも、よくあるデマやゴシップ記事に対して、

普段は全く興味がないジャンルや人が対象なのにも関わらず、言及していることは多い。

 

 

個人の感想なんてそれぞれなんだし、それを発信してはいけないということはないんだけれども、

そもそも発信する必要がないよね。メリットがない。そういうことは事情通とは言わない。ストレス解消なら筋トレでもやってればいい。

 

 

とある超有名人なんかも、「自分は芸能人であってスポーツ選手ではないからスポーツについては語らない」と言及していたりする。

これはすごく合理的な判断だと思う。みんなもそうすればいいんだよ。

自分が普段から興味があったり追いかけているジャンルや有名人に関することだけ感想を抱いていればいい。

その他のことは「俺には関係ない」で切り捨てろ!

時事ネタに精通するわけでもなんでもないのに、そういう世の不祥事なんかをいちいち炙り出してる暇なんてないはずだ。

 

 

重要なのが、〈全てにおいてどうでもいい〉と思わなければならないということ。

どっかで野垂れ死のうがどうでもいいのなら、炎上したり不祥事を起こしてもどうでもいいはず。

どうでもいい他人のことは悪く言う資格すらないはず、ということ。

 

 

と、まあこれがおれの意見なわけ。

(よく考えたらこれ自体が他人の心配な気がするけど、まあ記事のネタなんでね。)

 

 

ただこういう考え方ってすごく難しい。ネットを活用しつつ俗世から離脱するってのはよほど達観した人でないと困難だ。

 

 

ならばもう、人間性を根本から変えればいい。

他人のことなんてどうでもいい、と。今日からスタートだ。自分とその周りの人々だけの人生。

 

 

 

~翌日~

 

センセ「今お前が残している給食でアフリカの子供が救えるんだぞ。」

 

キッズ「ふーん。自殺しようとしている人の前で、生きたくても生きられない人が山ほどいる、なんて説教するのと何が違うんだろう?」

 

センセ「要は同じかもしれんが、それをよく考えることは大事だ。」

 

キッズ「でもぼく、他人なんてどうでもいいんだよ。」

 

 

 

・・・小学生キッズのみんな!真似しちゃいけないぞ!心の中で、そーっとな。